ターリバーンは、医療器具と医療用品だけでなく、
救援のために集まった食糧も(没収して、自分たちが使うために)全て集めた。
こういった大惨事の際には、男性支配社会では通常、女性や少女が支援されることはないことから、限られた手段であるとはいえ、少なくとも彼女らの救済にあたることができると考え、RAWAは即座に移動式クリニックを派遣することにした。我々は、被災者を苦しめている肉体的および精神的なトラウマのいずれにも対応できるようにした。
医者に診てもらうのは人生で初めてだと言う女性もいた。
移動式クリニックチームの一員が述べたところによると、チームは砂利道を夜通し移動した後にようやくバルマル地区に辿り着いた。そこでは一見、多数の人々と多くのテントが見えたため、多数の団体や財団が食料や水、薬を供給していたのかと思った。しばらくして、とりわけターリバーン軍が巡回しているのを目撃した際、地獄にいるのだと気付いた。全ての状況が、「こちらピープリー村」(Peepli Live)というインド映画の一シーンのように見えた。つまり、権力者たちが、地震による犠牲者と負傷者を救済するというよりもむしろ、私欲のために、自分たちの寛大さを見せびらかすためだけにその場にいるのだった。
現地には、関係省の地域当局や代表者が全て居合わせていたが、ターリバーンは皆各々の財布をふくらますことを考えていた。我々は、自分たちの任務を朝8時半に始めようと決定したが、ターリバーンの公衆保健省の地域当局の代表者が、女性は働くことが禁止されているとの理由でそれを禁じた。
その数分後、より効率的に活動できるよう、全クリニックチームが短時間のミーティングに招集された。我々の女性の派遣員がそのミーティングへ参加しようとした際に、ターリバーンは侮辱的な態度をとり、力づくで出席を止めた。幸いなことに、我々の男性サポーターの一人がミーティングに加わっていた。
そのミーティングの目的は全て、最良の支援と秩序の維持のために、全ての支援物資がターリバーンに渡されるべきというものであった。そうすれば彼らは何もかも手に入れて支配できるからだ。その決定に同意する団体はなく、ある男性は、たとえ鎮痛剤一錠でもターリバーンに渡すつもりはなく、もし彼の支援物資を押収する決定をするのであれば、救済活動をせずに帰るつもりだと言った。
我々は地元住民と話をすることにし、住民たちは皆、ターリバーンに支援物資を渡すことは単に彼らの私腹を満たすだけで、支援を必要とする人々には何も渡らないことに同意した。皆は少し離れたところに我々がテントを張るのを手伝ったり、近くの村人に患者を連れてくるように伝えたりする気になっていた。我々は任務を開始し、皆が治療のために、女性を連れて来ることに同意した。これらの生存者や犠牲者が肉体的・精神的に受けたトラウマについて報告するのは辛いことである。悲しみをたたえたり、トラウマを負ったりした人々の顔や叫びを明確に表現できる言葉が見つからない。
この地震は、住民が非常に困難な中で手に入れた本当にわずかな所有品を奪った。この地域の人々は、わずかな土地で農業や酪農に従事しているか、あるいは男性が日雇い労働を含む出稼ぎ労働のためにパキスタンに行っている。
我々は当初、女性のみの治療を計画していたが、その地の多くの男性が医師や薬へのアクセスが困難であると話した。全ての老若男女が深刻なトラウマにさいなまれていた。様々な理由により、特に子どもたちは下痢にかかっていた。アフガニスタンで最も貧困な地域の一つにあるこれらの村は、大人も子どもも全員が栄養不足でビタミン摂取が不十分であった。上述の女性は、これまでで医者に診てもらうのは人生で初めてだと断言した。アフガニスタンの他の地域と同様に、飲料水や安全な水はいうまでもなく、十分な水にアクセスすることができずにいた。特別な健康上の問題はなかったが、なかには、我々に会うためだけに何時間もかけて遠距離から来た人たちもいた。
不運にも我々は、おそらく癌および婦人科系あるいは心理的な問題がある患者に遭遇した。明らかに我々の医療チームでは治療することができない患者たちであったが、そうした患者たちがカーブルの病院にたどりつけるよう、便宜をはかろうと努力した。
家族全員を亡くし、魂のない生き物かのように歩き回っていた人々にも会った。家族全員を失った5歳と6歳の子どもの姿も目にした。夫をはじめ親戚全員を失った新婚女性にもあった。彼女は完全に言葉を失っており、涙さえこぼしていなかった。彼女は我々を目にすると、涙があふれ、泣き叫び始めた。そして私たちを帰らせまいとした。
安全な飲料水の大幅な不足と栄養不良のため、ほとんどの子どもが様々な病気の罹患のおそれがあり、ビタミン不足になっている。
全ての負傷者が一様に深刻な心理的問題をかかえており、恐怖心、貧困、家の喪失、混乱、絶望といった言葉を用いて自分たちの状況を説明することを恥じらっていた。
ターリバーンは医療器具と医療用品だけでなく、救援用の食糧も全て集めた。慈善団体や個人から現地に届けられた救援物資は、ターリバーンのいつもの残忍な手口で寄せ集められた。全てが没収された後にただちに必要な人々に分配されると主張された。しかし、地域の住民は、ターリバーンのヘリコプターが来て、負傷者を運ぶという大義のもとで救援用の食糧を奪おうとしていると言った。
この地域では、ターリバーンによる略奪と強奪の多くの例をはっきりと見ることができる。例えば、我々の医療チームが到着した初日に、ターリバーンの役人が生存者を慰問するという大義のもとで何回かに分かれてヘリコプターでやってきた。その姿は、まるで撮影と外見上の装いのためだけに姿をあらわす、腐敗し崩壊したガニー政権の役人たちのようだった。ある支援団体が数百人の被災者のために食事をつくった。しかし、武装した警備員とターリバーン軍がそこを襲い、自分たちの汚いお腹を満たすために全ての料理を無理やり奪った。彼らが取り上げたあと、被災者のためにはほとんど何も残されていなかった。
当初、ターリバーンは女性を医療チームに従事させることを認めなかった。しかし、われわれの仲間が従事を主張し、また住民からの支持があったことから、女性や少女への治療が可能となった。
これまで我々は多くの州を訪ねてきた。クナル州やバダフシャーン州、バーミヤーン州における男女の生活水準を目にしてきたことから、我々はいつも、これらの者が最も惨めで貧困な生活を送っていると思っていた。しかし、パクティーカーの状況を目撃した今、クナル州やバダフシャーン州、バーミヤーン州のことは全て忘れてしまった。
地方への支援と再建という大義による何十億ドルもの流入にもかかわらず、バルマル地区の人々はいまだに石器時代に生きている状態に置かれている。過去20年前から現在に至るまで、ここには、学校や道路、病院、飲料水および生活の基礎的かつ基盤となる設備が整った形跡が見られない。地区の中心部にある20床だけの病院は、アルグーン地区とバルマル地区にある村から数時間も離れたところにあり、住民の大多数はこうした小さな医療施設にすら辿りつくことができないのである。
この地域の人口の大きさに比べれば、我々の医療支援はちっぽけなものではあるが、我々のチームの医師や看護師は休むことなく働き、誠意をもって多数の人々の治療にあたった。