女性と子どもの命と権利の重大危機ーアフガニスタン情勢激変に際して訴える
8月15日、ターリバーン側が首都カーブルの大統領府を占拠し、アフガニスタンほぼ全域の支配を確立した。ガニー大統領は国外に逃亡した。アフガニスタンではこれまで、米軍が支援するアフガン政府軍とターリバーン武装勢力との戦いが続いてきた。アフガニスタンを軍事力で支配してきた米軍の撤退が8月末に予定され、実際に米軍撤退が始まるやターリバーンが全国各地で攻勢をかけた。
国連人権高等弁務官は、女性、マイノリティ、人権活動家、ジャーナリストが被害を受ける恐れが高まっているとし、民族的宗教的マイノリティに対する残虐行為の危険性に警鐘を鳴らしている。現地からは懸念を裏付ける声が徐々に届き始めている。
実際、8月17日、ジャラーラバードでは民衆に対する発砲により犠牲が出た。 1996年~2002年のターリバーン政権は苛烈な支配と人権抑圧をほしいままにし、特に女性に対する人権侵害は深刻且つ重大であった。しかし、2002年以後のアフガニスタン政権は、正統性も正当性もない外国軍の傀儡政権にすぎず、国民の支持を得ることなど考えず、米軍の下での利権獲得に励んだ。メディアではターリバーン時代の抑圧が強調されるが、抑圧と人権侵害は一貫して続いた。 遡れば、旧ソ連軍の軍事介入によって維持された旧々アフガニスタン政権は正統性も正当性もなく、国民の命と暮らしを守る意思も能力もなかった。
旧ソ連、アメリカ、パキスタン、イランなど大国や周辺諸国の不当な介入によって、アフガニスタン人民はあたかもお手玉のごとく扱われた。 アフガニスタン女性は、赤い悪夢から逃れたと思えばターリバーンの悪夢に苛まれ、次には星条旗の悪夢に苦しんだ末に再びターリバーンの悪夢に舞い戻る危険に直面している。
私たちは、2001年のアフガニスタン戦争による民衆虐殺と女性抑圧を前にアフガニスタン国際民衆戦犯法廷(2002~03年)を開催し、アフガニスタンに平和と正義を求める運動を始めた。 この運動の中で出会ったのがアフガニスタン女性革命協会(RAWA)であった。
RAWAの女性たちはアフガニスタンの最悪の状況の中でも平和と正義を求め、女性の権利実現を求めて運動を続けてきた。ソ連侵攻時代もターリバーン時代もアメリカ軍事支配時代も、RAWAは女性の権利と民主主義を求めてきた。このため政府やイスラム原理主義者からの弾圧とテロにさらされ、命がけで声を挙げてきたにもかかわらず、国際社会から軽視されてきた。 ターリバーンが政権を掌握したとしても、かつての恐怖支配の再来を避け、人々のいのちと暮らしを守る責任がある。
8月17日、ターリバーン幹部が開いた記者会見では「女性の権利は守られる。ただしシャリーア(イスラーム法)の範囲で」と述べた。「イスラーム法」をターリバーンが独善的に解釈すれば、女性の権利は守られない。 国際社会は、ターリバーン主導新政権に女性、子どもをはじめとする人々の権利を守らせるよう、厳しく監視するべきである。 アフガニスタンの混乱を助長した末に撤退しようとしているアメリカも、国際社会も、以前のようにアフガニスタンを見捨てて忘れ去ることなく、ターリバーン政権を監視する責任がある。
私たちは、RAWAの女性たちが味わっている恐怖に思いを致し、アフガニスタン全土にとりあえずの平穏を実現し、ターリバーン主導政権樹立後も女性と少女の人権侵害が生じないよう求める。
アフガニスタンに平穏と秩序を回復し、女性、子ども、マイノリティの権利を守るため、国連、国際社会、周辺諸国は率先して援助の手を差し伸べるべきである。
RAWAに学び、連帯する活動を続けてきた私たちは、政権の如何にかかわらず今後もRAWAとともに歩みを続けていく。
アフガニスタンに平和と正義を回復し、女性、子ども、マイノリティの権利を守るため私たちはRAWAとの連帯を強化する。 rawa.orgより
021年8月22日 RAWAと連帯する会